写真家・井津建郎さんと2002年個展「愛と友情のアンコール小児病院」(銀座 富士フォトサロン)にて

 
ニューヨークで活躍する日本人写真家・井津建郎さんが、カンボジアの子どもたちを救うために小児病院を建設するという新聞記事を読んだのがきっかけだった。井津さんは「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」(国境なき友人)というNGOを立ち上げ、99年2月私財を投じてカンボジアのシュムレアップ市に「アンコール小児病院」をオープンさせた。
 同じ写真家としてコマーシャルフォトの世界に浸っていた藤井さんは、この話に衝撃を受けた。井津さんに会って共感した藤井さんは、資金調達を呼びかけるかたわら、小児病院の取材を開始するため99年1月、初めてカンボジアを訪れた。観光地はどこも物売りの子どもたちであふれ、街のマーケットには物乞いの子どもたちがさ迷い歩いていた。
「この国の子どもたちに明るい未来はあるのだろうか。カンボジアという国はなんて悲しい国なんだろう」 
 強烈な現実を目の当たりにして、藤井さんはどうしようもないやるせなさを感じ、子どもたちにカメラを向けることさえ もできなかった。
「この国は自分には合わない、早く日本に帰りたい」 
 それが藤井さんの最初の感想であった。だが、藤井さんの心をとらえて離さないものがあった。それは子どもたちの輝くような笑顔、澄み切った瞳だった。戦後の混乱と食糧難を体験した藤井さんは、そこに貧しい時代の自分、日本が失った心の豊かさのようなものを感じたという。
「カンボジアには自分が幼かった頃の戦後の光景がある。 そこには内戦で疲弊したカンボジアの姿と、戦争は終わったが戦後のきびしい現実と必死になって闘いながら生きようとする子どもたちの姿がある。その姿を見ると、決して他人事のようには思えない」
 藤井さんのカンボジア通いが始まった。藤井さんはカンボジアに行くたびに、お米やミルクをたずさえて現地入りする。学用品なども持参する。そして撮影した小児病院の子どもたちの写真を、次に訪れたときにプレゼント している。
「カンボジアの孤児院に来て、子どもたちに手を引かれて街を歩いたり、一緒に遊んで欲しいとせがまれるうちに少しづつ自分が癒されていることに気がついた。そして子どもたちが少しでも普通の生活をおくれるように協力したり、小学校に通うことができるよう、いろいろなものを寄付することで、こんな私でも誰かの役に立つことができるという写真家としてではない、1人の人間としての存在意義を自分の中に見いだすことができた」
 それは 写真の世界でいくら名声を勝ち得ても、日本では味わったことのない体験だった。 00年からは藤井さんも「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー」USA理事として、積極的な病院支援を行いました。